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「らしさ」ということ

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美里康人

 

「らしさ」を演出する化粧品

間違いなのか?

 

今日のお題は少し化粧品の話題からはズレますが、関係ないお話ではないので退屈しのぎにお読み頂ければ幸いです。

「らしさ」ということ

最初につまらない雑談話をしますが・・・。

私が業界に入った頃の上司であった研究室の室長は、業界でも割と知られた方でした。
実に実直で基礎技術にうるさい方で、パパっと製品のカタチにしてしまいたくなる私たち初心者の勇み足をいつも打ち砕かれる、厳しくも良い技術者でありました。

また、企業が求める職能だけでなく、私生活や社員個々人の基礎技術スキルを常に意識し、個々人の技術者としての将来をいつも考えて化粧品設計の基本を教えてくれる室長でした。

ちなみにもう数十年もお会いできていなく、数年前に亡くなったことを風のウワサで聞き、大変悲しい気持ちになった方でもありました。

で、この研究室長から教えられた格言や言葉は今でも胸にしっかりと刻み込まれていて、後輩や新人さんにはよくお話をすることがあります。
そのような教えのひとつに、こんな言葉があります。

「体(”たい”又は”てい”)をなす」

同様の意味で「名は体を表す」という言葉も使われていました。
仕事の中でのシーンでは、「この報告書は、実験レポートとしての体をなしていないぞ。」と叱られるケース(笑)

で、その意味ですが、つまりは分かりやすく言い替えると「らしさ」というのが大切とよく教えられたのです。
もう少し具現化すると、「モノはすべてそのカタチとなっている意味がある」という教えです。

例えば、新幹線。

お鼻が異例なほどとんがって長く、後ろに向かってスマートな顔立ちをしていますね。
あれはただ単にカッコいいデザインということではないのは、皆さんもよくご存じでしょう。
300キロを超えるスピードを出すために研究と実験を重ねられた結果の、造形ということですね。

F1レーシングカーのカタチにしたところで同様です。
最高速度300キロの世界で、わずか3~4キロを競ってボディの開発競争をしているわけです。
デザインとして、これらがずんぐりむっくりとした可愛らしいカタチをしていても良さそうなものですが、それではスピードが出ないということになってしまいますよね。

これは世にカタチのあるどのようなモノでも、そういった機能に沿った原則で成り立っているという教えです。
身近なものでも、手元にあるボールペンにしたところで、デザインとしての例外を除き、長く使っても書きやすいカタチに拘って作られています。

処方設計にもある”体”

ということでようやくの本題ですが、この時の研究室長は化粧品の処方設計にもそういった“体”があるとの教えだったのです。

これは最初に処方設計を組み立てる時に重要なことなのですが、後輩たちにはまずこんな成分構成のイメージ図を書かせます。

これはどういうイメージ図かといえば、化粧品の処方設計では比較的単純な、クレンジングオイルの成分構成イメージ図です。
いわば、最初に作る設計図と言えば分かりやすいでしょうか。

グレー「O」がオイル成分でベースのオイルになり、それがA・Bに分かれているので、2種類のオイルを使ってメイク落ちを達成しようという設計目標です。
そしてブルー「S」というのが界面活性剤で、メイクとなじませた後は湯水に洗い流すために界面活性剤が必要ということになります。
こちらも洗い流す際の水への乳化力と、ベースオイルと均一になる安定性を考えて双方の目的をはたす2種類のAとBを使うことを示しています。
残りのの小さな「AO」は酸化防止剤で、ベースがオイルですのでオイルの酸化を防ぐ酸化防止剤を配合することを示しています。
この時に、機能として成分同士を仲介するような性質の機能を持つ成分もありますので、その際には円をくっつけて配合目的を明確にしておきます。

そしてざっくりと、円の大きさはおおまかな成分比を表しているというわけです。

クレンジングオイルは、その目的とする機能を持たせる成分数は少ないのでこの程度の図になっていますが、他のカテゴリーの化粧品になるともっと点数は増えていきます。

非常に単純な作業ですが、実はこうした基本原則の骨格作りができない技術者が多く、特に処方に手を入れていけばいくほどに、見失ってしまうことが多くあります。
なぜなら、実際に商品として処方を設計していく段階に進むと、この他にも様々な美容成分や補助成分が成分数として列記されていくためです。
ユーザーの皆さんも、全成分数をみればもっともっと多いことに気付くでしょうし、実際の商品になるとそうなるのが普通です。

つまり、実際に処方を組んでいくと、こうした機能に必要な骨格設計が見えなくなってしまうことがよくあるということなんですね。

だいたいにおいて処方設計者は、実際に試作してみて処方を改良していくのに、得てして「足し算」をやってしまうことが多いんですね。
これは、お料理のレシピを想像するとが分かりやすいと思います。

作ってみた・・・塩辛い・・・砂糖を足す・・・辛みが欲しい・・・こしょうを足す・・・
と、作り直すことをせずにどんどんと調味料や材料を足していって、修正を重ねていきます。
結果的に、もともとはどのようなレシピだったか分からなくなり、もう一度作りたくなっても再現できない・・・という事態になってしまうわけです。

化粧品の処方設計者も同じように手を加えることになってしまい、どの成分がどの機能で必要とされて配合していたのか分からなくなってしまう事態に陥ってしまうのです。

これが最初の言葉で書いた、「体をなす成分はどれなのか」を常に意識して組み立てをしなさいという、教えだったというわけです。
時には引き算をし、ムダな成分は省いていくことをしなさいという教えです。

職業柄、他の方の組まれた処方を拝見することが、よくあります。
長年経験を積まれた方から新米さんまで、様々です。
で、そうして処方を拝見すると、その技術者の方の考え方やクセがよく見えてきて、非常に面白いですね。
成分数がやたらと多くて煩雑な技術者さんや、大事な機能成分が抜けている技術者さん、そして防腐剤に対するノウハウが欠如していて、どうみてもばい菌が入ると腐ってしまうと分かる技術者さんもおられたりします。
そしてその後に、それぞれの成分が使われている理由・目的をひとつひとつ伺うと、これでその技術者の方のスキルがあからさまになります。
成分ひとつでも「え~っと」なんて言葉が出てくると、口には出しませんが「あちゃぁ・・・」となってしまいます。
悪趣味なおやぢですね(笑)

いえいえ、人様の処方を拝見するのはまだまだ学ばされることが多く、自分の技術の筋肉になるんですよ。

全成分から”体”を見る

さて、こうしてきちんと基礎設計を意識して学んでいくと、市販製品に記載されている全成分をみれば、その“体”が見えてきます。
逆にいえばこの“体”が見えない限り、その商品の処方設計や技術者の意図は見えてきません。

昨今、よく美容専門家を名乗る方々が、製品の全成分から評価を述べているのを見かけます。
果たして、処方を設計したこともない方が、この“体”を読み取れるのか疑問に思います。
パソコンを組み立てたこともない人が、メモリーやCPUのスペック数字をみて「このPCは性能がもうひとつ・・・」なんて評価コメントをしているのも、同じです。

職業なので私達は何もコメントしませんが、見ればユーザーの皆さんとは異なって???と感じて胸を痛めます。
twitterでもつぶやいておられる技術者の同輩さんもおられる通り、たくさん並んだ成分の中で、その機能を果たす必要な成分を見極めるのは、机上の空論では読み解けないですね。
第三者に読み取れないように隠して設計するのも、私達の仕事ですからね(笑)

そのような専門家を名乗る方々とモメるのもイヤなので、これ位にしておきましょう。

ジェンダーフリーに課題はないだろうか

実は今回の話題は、こういう視点ではありません。

twitterでもつぶやきましたが、いよいよ化粧品の業界でもジェンダーフリーの考え方が広まってきましたが、どうにも男性ユーザーをターゲットとしてメイク製品をPR展開するの現状に、どこか違和感を感じてしまいます。
もちろん、これは単なる私個人の感想ですので、誤解なく。

もちろん、男性らしさを演出するメイクアイテムもあるでしょうから、全てを否定はしません。
例えば、眉が私のように(笑)薄い男性なら、濃く見えるように書き足すのはおおいに賛成です。
他にも、日焼けし過ぎて大きなシミができてしまってコンシーラーで隠したいと思うのも、男性であろうが大切なニーズと納得できます。

しかしながら、ジェンダーフリーの世相に引っ張られて、女性のようにオシャレなメイクをするマスカラやアイシャドウ・・・となってくると、どこか違和感を感じてしまうのはじーさんだからでしょうかね(苦笑)
そう指摘されても反論はできないと、自覚もしていますよ。

あとは、私も若い頃は趣味がロックバンドでしたので、アマチュアとはいえライブにあがる時は、今のビジュアル系バンドさながらのメイクもしていたものです。
なので特別なシーンで活用したり職業柄というのは、全く悪いとも思いません。

ただ、ここで最初に今回のお題にした「らしさ」という言葉を、つい思い浮かべるのです。
普通に社会生活を送る中で、日常的にそれを当たり前のこととしてしまうのは、「男性らしさ」「女性らしさ」という、“体”から外れると感じるのは、時代遅れと吐き捨てられてしまうのでしょうかね。

これは地球上に存在するすべての生命体が持つ、♂と♀の機能から出る特性ですので、そこは意識をしておく必要を感じてしまいます。
いくら理屈を並べても、男性は子供を体内で育み、産めませんのでね(苦笑)
女性は偉大だと常々から思う、じいさんのつぶやきでありました。

最後にこの記事内容は、トランスジェンダーの方に向けた非難ではございませんので、何卒ご了承下さいませ。

つまらない駄文で終わって、また次週。

by.美里 康人

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